小池和夫『異体字の世界』(河出文庫)

先日、@yunishio殿と神田神保町を散策した際、小池和夫『異体字の世界』(河出文庫)という本を偶然にも見つけた。河出書房は東洋史や戦略論好きな私にとってさほど重要ではなく、新刊もチェックしないしコーナーにも立ち寄らない、そんな扱いだった。正直興味がわかないのである。ラインアップ的に。

で、神田神保町となると東洋史関係の書物を一堂に会しているため、そういった文庫でも個別に陽の目を見ることができる。それが本書である。

著者はDTP組版の研究者でJIS X 0213規格制定に関わった、漢字研究の第一人者でもある。そもそも異体字とは何か、そういった諸事情を細かく解説してくれる。

結論から言えば、現在のような常用漢字だとか第○水準漢字のような区分けができた理由は、江戸時代までの手書きから明治以降の活版印刷技術の普及、そして漢字を一般庶民に普及させるための標準化・簡便化である。この取り組みは明治初期から現在に至るまで脈々と続いており、GHQの陰謀とかそういうのは全く関係がない。また戸籍管理のためにかくも膨大な漢字を規格として定めている。逆に言えば、正字とか異体字とかの区別はそれ以上の意味がないのである。

こういう異体字とか略字とか正字とかの区別は、一つには康煕字典に定めているというところに求めうるが、実はこれも全てが正確なわけではなく、実用例がないのにむりやり正字にしてしまったり所々の誤りが見受けられる。

本書を読んで面白いのは、現在使われている新漢字というのは正字に対する略字や俗字に属するものが多く、決して現代になって新しく急造したものではないと言うこと。そして中国の簡体字についても事情は同じで、数多くの略字・俗字の中から採用した文字が偶然にも日本と異なっていただけにすぎない。どちらが正しいとか間違っているではない。両方とも昔から元々存在していて、それを国としての常用漢字として採用した文字が違っただけなのである。実は日本の旧漢字にも事情は全く同じである。旧漢字が正しいという理由はなにもない。

ともすると今受けている教育、又は昔の学校教育で習う漢字こそが正しいと錯覚しがちであるが、漢字の世界はそう一意的に決められるものではない。もし近世以前の古典の世界に浸るのであれば、これまで学校教育で習ってきた漢字に関する固定観念を捨てて接するようにしなければならないだろう。