角田和弘「E.H.カーの『国際秩序』構想―平和的変革とその失敗」(戦略研究学会編『戦略研究 7』芙蓉書房出版、2009年、p.119-136)

戦略研究 第7号 インテリジェンス

戦略研究 第7号 インテリジェンス

この論文はE.H.カーの主著である『危機の二十年』やその前後にE.H.カーが雑誌に投稿した論文から、彼の構想していた国際秩序が如何なるものであるかを解明し、そして評価することにある。

本論文においてカーへの評価は厳しい。というのも、カーは『危機の二十年』においてドイツのミュンヘン会議におけるズデーテン地方割譲、イタリアのエチオピア侵攻を是認しているからだ。カーは「持てる者」イギリスと「持たざる者」ドイツ・イタリアが武力衝突を避けるために、話し合いの下で遂行されたことを評価しているからだ。本論文では以下のように結論づける。

既に述べた通り、カーは「持たざる国」であるドイツ、イタリアを「持つ者」の立場に転じさせようとした。イギリスとドイツ、イタリア間の道義的関係の再構築を成し遂げ、そしてドイツ、イタリアが現状維持に利益を見いだすことによって、その力を国際秩序の維持のために用いようとした。

カーの主眼は欧州大戦の再現を阻止することであった。その為にはチェコスロバキアの多少の犠牲もやむを得ないという判断だった。しかし、史実はそれで収まるどころか両国の更なる利益拡大行動をもたらす。後世から見てこの出来事はドイツ、特にヒトラーによる独走を許すことになる。このときの状況をヴァルター・ゲルリッツは次のように記す。

だがヒトラーミュンヘンの勝利によって、参謀本部の精密な計算よりも自分の直感の方が常に正しい、との確信を強めた。確かにズデーテン危機をめぐるヒトラーの勝利は、伝統的な官庁、すなわちヴィルヘルム街の外交と参謀本部の戦略を全く無視して実行された政策の結果だったのである。こうして官庁はヒトラーに助言するどころか、単なる政策の道具とみなされるようになった。
(ヴァルター・ゲルリッツ『ドイツ参謀本部興亡史 下』(学研M文庫)p.196-197)

『危機の二十年』は当時の国際政治史の古典として高い評価を受けている。しかし、名著であったとしても一方でその認識全てが正しいとも限らない。だが仮にカーの目指した国際秩序が正鵠を射るものでなかったにせよ、『危機の二十年』の訳者である原彬久氏が訳者後解説の部分で述べる通り、戦間期の国際的な動きを分析して明らかにすることが目的であればその価値は大きく減ずるものではない。本論文はあくまでカーの目指した国際秩序の姿を明らかにすることが目的であって、決して『危機の二十年』に価値がないと述べているわけではないことを記しておく。