E.H.カー『危機の二十年―理想と現実』(岩波文庫)

危機の二十年――理想と現実 (岩波文庫)

危機の二十年――理想と現実 (岩波文庫)

本書は国際政治学の古典とも謂うべき地位を確立している。

本書は1919年から1939年にかけての戦間期20年の国際的な動向を取り扱う。前半の1920年代は国際連盟発足や軍縮会議などユートピア的幻想が幅を利かせていた時代、1930年はそこから一転してリアリズムに突き進む時代である。1920年に幅を利かせていたユートピアニズムは何故崩壊したか。本書では以下のように言及する。

世界大動乱の原因となる不平等とは、すなわち個人間の不平等や階級間の不平等ではなくて、国家間の不平等であった。…(中略)…今日われわれは、マルクスが嘗て社会階級について犯した誤りを繰り返してはならない。つまり、国家を人間社会の究極の集団単位として扱うその愚を犯してはならないのである。
(「第14章 新しい国際秩序への展望」p.429)

国家間の力量が原則として平等でない以上、このような国家間の不満を調停する場合には国際政治上における権力の存在が必要である。すなわち、カーが以下のように定義する超大国の存在である。

新しい国際秩序は、次のような権力単位の上にのみ打ち立てられるのである。すなわちその権力単位とは、群小国家間の対立状況のなかでやむなく一方に与せずともみずからの優位を維持できるほど、十分な統合力の強さをもち合わせているということである。
(「第14章 新しい国際秩序への展望」p.444)

権力者が調停の際に自らの都合のいいように裁定する可能性を是認しながらも、カーは実行力を持たないユートピアニズムよりもましだと判断する。一方で、超大国は無秩序に被支配的な国家に対して要求をして良いわけではない。力を持つ者が何の遠慮もなく権力を行使できるという状態もまた、幻想である。一時的には可能にしても、そのような状態では国際秩序は建設し得ない。今日、中国が新たな超大国として国際政治の舞台に登場しつつあるが、果たして中国は本当にその地位に就くことが可能か否か。アメリカがあっさりその座を譲るようにも思えない。嘗て第一次世界大戦後にイギリスがアメリカに期待しようなことが、果たしてアメリカと中国の間で起こりえるのか。古典的な国際政治学の立場から見て、今日の動向は大きく注目されるべき事態である。