『後漢書』羊陟伝

羊陟字嗣祖,太山梁父人也。家世冠族。陟少清直有學行,舉孝廉,辟太尉李固府,舉高第,拜侍御史。會固被誅,陟以故吏禁錮歷年。復舉高第,再遷冀州刺史。奏案貪濁,所在肅然。又再遷虎賁中郎將、城門校尉,三遷尚書令。時太尉張顥、司徒樊陵、大鴻臚郭防、太僕曹陵、大司農馮方並與宦豎相姻私,公行貨賂,並奏罷黜之,不納。以前太尉劉寵、司隸校尉許冰、幽州刺史楊熙、涼州刺史劉恭、益州刺史龐艾清亮在公,薦舉升進。帝嘉之,拜陟河南尹。計日受奉,常食乾飯茹菜,禁制豪右,京師憚之。會黨事起,免官禁錮,卒於家。

まずは例の如く書き下し。諸注意もかくの如し。

 羊陟字を嗣祖、太山郡梁父県の人なり。家世冠族たり*1。羊陟は少くして清直にして学業有り。孝廉に挙げられ、太尉李固の府に辟せられ、高第に挙げられ、侍御史を拝す。会*2李固誅せられ、羊陟は故吏を以て歴年禁錮とす。復た高第に挙げられ、再遷して冀州刺史たり。奏して貪濁を案じ、在る所は粛然たり。又再遷して虎賁中郎将、城門校尉、三遷して尚書令たり。時の太尉張顥、司徒樊陵*3、大鴻臚郭防、太僕曹陵、大司農馮方並びに宦豎と相姻私し*4、公に貨賂を行う。並びに奏して之を罷黜*5せんとするも、納めず。以前の太尉劉寵、司隷校尉許冰*6、幽州刺史楊熙、涼州刺史劉恭、益州刺史龐艾は清亮にして公に在り、薦挙して昇進せしむ。帝之を嘉とし、羊陟は河南尹を拝す。日を計りて奉を受け*7、常に乾飯と茹菜*8を食し、豪右の制するを禁じ、京師之を憚る。会*9党事起こりて官を免ぜられて禁錮*10、家に卒す。

というわけで、寝る前にお酒を飲みながらもう一つ訳してみた。これくらいの分量ならすぐできてお手軽である。

*1:代々豪族の家柄だった。県は違うが、同郡出身であることから、羊続の一族ではなかろうか。羊続も七世二千石の家柄である。

*2:たまたま

*3:錢大繒曰く「靈帝紀は樊陵を太尉と為して司徒に非ず」。ということだが、それだと張顥と被るじゃん...という話もあったりなかったり。時期的な問題だろうか。

*4:宦官勢力と一部士大夫の結託と読める。

*5:辞めさせて退ける、と言う意味。

*6:後漢書集解』には以下の記述がある。【王先謙曰く、官本は亦た永と作る。『考証』曰く、永は毛本で冰と作り、監本は水と作る。今は宋本に従う。王先謙案ずるに、毛本並びに冰と作らず、何本に拠るか知らず。】ここは中華書局、そして中央研究院の漢籍電子文献が共に許冰と表記しているので今回はそれに従ったが、王先謙の見解に拠れば「許冰」という表記は根拠が無いとし、実際に『後漢書集解』における本文表記は「許永」となっている。

*7:給料(俸禄)を誤魔化さなかったということか?

*8:乾いたご飯と茹で野菜だけ。

*9:たまたま

*10:所謂「党錮の禁」だが、恐らく第一次の方か。