班固『白虎通』巻一 爵 (3)

公卿大夫者何謂也?內爵稱也。內爵稱公卿大夫何?爵者,盡也,各量其職,盡其才也。公之為言公正無私也。卿之為言章也,章善明理也。大夫之為言大扶,扶進人者也。故《傳》曰:「進賢達能,謂之卿大夫。」《王制》曰:「上大夫卿。」士者,事也。任事之稱也。故《傳》曰:「通古今,辯然否,謂之士。」何以知士非爵?《禮》曰:「四十強而仕。」不言「爵為士」。至五十爵為大夫。何以知卿為爵也。以大夫知卿亦爵也。何以知公為爵也?《春秋傳》曰:「諸侯四〓,諸公六〓。」合而言之,以是知公卿為爵。內爵所以三等何?亦法三光也。所以不變質文何?內者為本,故不改內也。諸侯所以無公爵者,下天子也。故《王制》曰:「上大夫,下大夫,上士,中士,下士,凡五等。」此謂諸侯臣也。大夫但有上下,士有上中下何?明卑者多也。爵皆一字也,大夫獨兩字何?《春秋傳》曰:「大夫無遂事。」以為大夫職在之適四方,受君之法,施之於民,故獨兩字言之。或曰:大夫,爵之下者也。稱大夫,明從大夫以上受下施,皆大自著也。天子之士獨稱元士何?士賤,不得體君之尊,故加元以別於諸侯之士也。《禮經》曰:「士見於大夫,」諸侯之士也。《王制》曰:「王者八十一元士。」天子爵連言天子,諸侯爵不連言王侯何?即言王侯,以王者同稱,為衰弱人替差生篡弒,猶不能為天子也,故連言天子也。或曰:王者天爵,王者不能王諸侯,故不言王侯。諸侯人事自著,故不著也。

ここでは公、卿、大夫、士の階層がが語られる。三国時代でお馴染みの三公、九卿、士大夫の呼び名のことであり、この公・卿・大夫・士を内爵と称する。

公が公正無私を意味することは前段落でも言及しているが、同様に卿は章かにする、大夫は大いに扶ける意味がある。そして少しランクが下がり、士は人に仕える意味がある。尚、天子に仕える士の階級を「元士」というのは、諸侯に仕える士の階級の人間と区別するためとされる。

ちなみに此処の段落では四十代で仕えて士となり、五十歳で爵は大夫に為るという記載がある。この年齢の記載から思い出されるのは、陽嘉元年に左雄が上言した以下の内容である。

雄又上言:「郡國孝廉,古之貢士,出則宰民,宣協風教。若其面牆,則無所施用。孔子曰『四十不惑』,禮稱『強仕』。請自今孝廉年不滿四十,不得察舉,皆先詣公府,諸生試家法,文吏課牋奏,副之端門,練其虛實,以觀異能,以美風俗。有不承科令者,正其罪法。若有茂才異行,自可不拘年齒。」帝從之,於是班下郡國。
(『後漢書』左雄伝)

ここから想像するに、所謂この『白虎通』で指している「士」の階級とは孝廉に推挙された者を指す。言い換えれば、士大夫は孝廉に挙げられ中央で仕える者の階層を指すのではないか、ということである。逆に言えば、孝廉に推挙されていない地方の郡県の官吏は士大夫の階層ではない、ということになる。

そんなわけで、この段落から士大夫の意味が何となく理解できるのである。