班固『白虎通』巻一 爵 (7)

爵人于朝者,示不私人以官,與衆共之義也。封諸侯于廟者,示不自專也。明法度皆祖之制也,舉事必告焉。《王制》曰:「爵人于朝,與衆共之焉。」《詩》云:「王命卿士,南仲太祖。」《禮祭統》曰:「古者明君,爵有德必于太祖。君降立于阼階南,南面向,所命北面,央由君右執策命之。」

「朝で人に爵位を授けるのは、私人を役人として任用していないことを示す」「廟で諸侯を封じるのは、恣意的な運用でないことを示す」という。朝は天子が政務を執る場所、私人は召使いとか家臣の意味。また、本文中に出てくる「阼階(そかい)」がよくわからないので調べたところ、「主人が登る東側の階段(角川新字源 改訂版)」の意味らしく、古来は主人が東側、客が西側の階段を使用したとのこと。

また、『毛詩』大雅・常武の「王命卿士,南仲大祖。」の意味について、ふくらさんが運営する中国兵法では以下のように説明している。

はじめに、周王は王室の軍隊を任命して統帥する権限をがっちり掌握していました。『詩経』「大雅・常武」に「王命郷士、南仲太祖、大師皇父、整我六師、以修我戎」とあります。これは周王が太祖の霊廟において「西六師」の将軍を任命する儀式を行ったことを言っています。軍隊のなかの各種の武官も、おおむね周王によって任命されました。
(中国の兵制―1.夏・殷・周の兵制「第三節 西周の兵制」)

また、陳立は注釈の中で廬文弨『今本四十四篇闕文』を引用する。

廬云:「衆當據本書作士,太祖本作太廟。自專,自一作敢。」

以上のことを考慮すると、ふくらさんの解釈するとおり、この引用部分は将軍の任命が太祖の霊廟に於いて行われたことを指し示すものなのだろう。人に爵位を授けたり、諸侯を封じたり、将軍を任命するという行為は、儀式化することでその重要さ、神聖さを印象づけていたのであろう。人事権の行使は今も昔も大変なのである。