班固『白虎通』巻九 姓名 (2)

所以有氏者何?所以貴功徳,賎伎力。或氏其官,或氏其事,聞其氏即可知其徳,所以勉人為善也。或氏王父字何?所以別諸侯之後,為興滅国、継絶世也。王者之子称王子,王者之孫称王孫,諸侯之子称公子,公子之子称公孫,公孫之子各以其王父字為氏。《論語》有王孫賈,又有衛公子荊、公孫朝,魯有仲孫、叔季、季孫,楚有昭、屈、景,斉有高、国、崔。以知其為子孫也。王者之後,亦称王子,兄弟立而皆封也。或曰:王者之孫,亦称王孫也。《刑徳放》曰:「堯知命,表稷、契,賜姓子、姫。皐陶典刑,不表姓,言天任徳遠刑。」禹姓娰氏,祖昌意以薏苡生。殷姓子氏,祖以玄鳥子生也。周姓姫氏,祖以履大人跡生也。

三国時代ばかりやっていると縁が薄い「氏」だが、春秋戦国時代をやるとよく出てくる。『春秋左氏傳』を読む際によくわからない項目の一つとして個人的に挙げても良いくらいだ。

この氏についてだが、本文に拠れば「功徳を貴び、伎力を賎しむ所以たり。或る氏は其の官、或る氏は其の事たれば、其の氏を聞かば即ち其の徳を知るべく、人善為すを勉むる所以なり。」とする。わかったようなわからないような記述だが、この意味は陳立『白虎通疏証』の注釈に詳述されている。陳立はまず、以下の文献を引用する。

氏者,所以別子孫之所出也。
(鄭玄『駁五経異義』)

凡言氏者,世其官也。
(干寶『周礼注』)

春秋左氏伝『官有世功,則有官族』
(応劭『風俗通』)

つまり、氏とは祖先の功績に由来した族姓である。陳立はこの族姓には九つのパターンがあると述べる。そのパターンは

  1. 號〔例〕唐、虞、夏、殷
  2. 諡〔例〕載、武、宣、穆
  3. 爵〔例〕王、公、侯、伯
  4. 國〔例〕曹、魯、宋、衛
  5. 官〔例〕司徒、司寇、司空、司城
  6. 字〔例〕伯、仲、叔、季
  7. 居〔例〕城、郭、園、池
  8. 事〔例〕巫、卜、陶、匠
  9. 職〔例〕三烏、五鹿、青牛、白馬

であり、以前の記事で紹介した姓とは異なるものである。故に氏が同じでも姓が異なれば結婚できたし、逆に氏が異なっていても姓が同じであれば結婚はできない。だがこれも後世には氏と姓が共通してしまう。『春秋左傳注』の著者である楊伯峻氏は、隠公八年の記事の中で以下のように述べ、実際に氏姓の由来を区別して正確に推断することは難しいとしている。

上古姓氏起源具體状況已難推斷,不但以上各種解釋皆屬臆測,則衆仲天子賜姓之說亦是據當時傳說與典禮而為之辭,恐亦未必合於太古状況。
(楊伯峻『春秋左傳注(修訂版)』隠公八年の伝の注釈より引用)

さて、王や諸侯の場合は氏に法則があり、王の子は王子氏、王の孫は王孫氏、諸侯の子は公子氏、諸侯の孫は公孫氏である。『春秋』で公子某、公孫某の名前をよく見掛けるのはこの法則に由来する。公孫氏の次の世代になると、氏は祖父の字を採る。例えば鄭の公子去疾は穆公の子であり、字は子良である。その為、公子去疾の孫(公孫輒の子)は良氏を名乗って良霄、良霄の子は良止、と続いていく。後世になると先に述べたように氏姓の区別がなくなり、この良氏がそのまま姓に変化する。

秦漢以降を考えるのであれば、氏姓の区別を明確に把握している必要はないかも知れないが、春秋戦国時代を取り扱うのであれば覚えておく必要のある知識だろう。実際、この知識が無くても『三国志』や『晋書』、『後漢書』を読むのには支障が無いのであるから。