班固『白虎通』巻九 姓名 (3)

人必有名何?所以吐情自紀,尊事人者也。《論語》曰:「名不正則言不順。」三月名之何?天道一時,物有其変,人生三月,目煦亦能咳笑,与人相更答,故因其始有知而名之。故《礼服伝》曰:「子生三月,則父名之于祖廟。」於祖廟者,謂子之親廟也。明当為宗廟主也。一説名之于燕寝。名者,幼小卑賎之称也。質略,故于燕寝。《礼内則》曰:「子生,君沐浴朝服,夫人亦如之。立於阼階西南,世婦抱子升自西階,君命之,嫡子執其右手,庶子撫其首。君曰『欽有帥』。夫人曰『記有成』。告于四境。」四境者,所以遏絶萌芽,禁備未然。故《曾子問》曰:「世子生三月,以名告于祖檷。」《内則記》曰:「以名告于山川社稷四境。天子太子,使士負子於南郊。」以桑弧蓬矢六射者,何也?此男子之事也。故先表其事,然後食其禄。必桑弧何?桑者,相逢接之道也。《保傅》曰:「太子生,挙之以礼,使士負之有司斉粛端〓,之郊見于天。」《韓詩内伝》曰:「太子生,以桑弧蓬矢六,射上下四方。」明当有事天地四方也。殷以生日名子何?殷家質,故直以生日名子也。以《尚書》道殷家太甲、帝乙、武丁也。于臣民亦得以甲乙生日名子何?不使亦不止也,以《尚書》道殷臣有巫咸,有祖己也。何以知諸侯不象王者以生日名子也?以太王名亶甫,王季名暦,此殷之諸侯也。《易》曰「帝乙」,謂成湯。《書》曰:「帝乙」,謂六代孫也。湯生於夏時,何以用甲乙為名?曰:湯王後乃更変名,子孫法耳。本名履,故《論語》曰:「予小子履」。履,湯名也。不以子丑為名何?曰:甲乙者,榦也。子丑者,枝也。榦為本,本質,故以甲乙為名也。名或兼或単何?示非一也。或聴其声,以律定其名。或依其事,旁其形。故名或兼或単也。依其事者,若后稷是也。棄之,因名為棄也。旁其形者,孔子首類丘山,故名為丘。或旁其名為之字者,聞名即知其字,聞字即知其名,若名賜字子貢,名鯉字伯魚。《春秋》譏二名何?所以譏者,乃謂其無常者也。若乍為名,禄甫元言武庚。 不以日月山川為名者,少賎卑己之称也。臣子当諱,為物示通,故避之也。《礼》曰:「二名不偏諱。逮事父母則諱王父母,不逮父母則不諱王父母也。君前不諱,詩書不諱,臨文不諱,郊廟中不諱。」又曰:「君前臣名,父前子名」謂大夫名卿,弟名兄也。明不諱于尊者之前也。太古之世所不諱者何?尚質也。故臣子不言其君父之名。故《礼記》曰:「朝日上質不諱正天名也。」人所以十月而生者何?人,天子之也。任天地之数五,故十月而備,乃成人也。人生所以位何?本一幹而分,得気異息,故泣重離母之義。《尚書》曰:「啓呱呱而泣」也。人拝所以自名何?所以立号自紀。礼,拝自後,不自名何?備陰陽也。人所以相拝者何?所以表情見意,屈節卑体,尊事人者也。拝之言服也。所以必再拝何?法陰陽也。《尚書》曰:「再拝稽首」也。必稽首何?敬之至也,頭至地。何以言首?謂頭也。《礼》曰:「首有瘍則沐。」所以先拝手,後稽首何?名順其文質也。《尚書》曰:「周公拝手稽首。」

名前に関する項目。凄く長いが、落ち着いて読めば何と言うことはない…はず。

まず天子や諸侯の場合、子供が生まれると夫婦そろって沐浴し、正装に着替える。そして夫は自宅の階段の西南側に立ち、妻は子供を抱いて西側に立つ。生まれた子供が嫡子ならば子供の右手を執り、庶子ならば其の首を撫でる。そして子供が生まれたことを四境、則ち周囲に告げる。その後、生まれてから親が子供を名付けるまで三ヶ月待つ。というのも三ヶ月も待てば子供に表情が産まれ、其の人相を見て名付けるからだという。名付けたらその子の名を祖廟に報告する。これが一連の流れである。

その後、何で殷代では王の名前が甲乙丙なのか...といった話がしばらく続き(面倒なので省略する)、名付け方の実例に入る。最初に言及するのは孔子サマこと孔丘であるが、何故「丘」が名前になったのかというと、首が丘のようだったからだという。そう言われてもサッパリ意味がわからないので陳立の注釈を見ると、「孔子首四方高,中央下,有似于丘,故取名焉。孔子の首は四方が高く、真ん中が下っていて、丘に似ているので、その名を取ったのである)」とある。やっぱりわからない。誰か絵で説明してくれ...

名と字(次段落で説明)は意味的に相応の関係でなければならず、「賜⇔子貢(賜も貢も人に与える意味がある)」「鯉⇔子魚(両方とも魚)」のような感じである。尚、『春秋公羊傳』に限ってであるが、2つの名前を持つこと(途中で改名すること)は礼に反するとして難じられる(2文字の名前は大丈夫だし、『春秋左氏傳』の立場ではそもそも2つ名を禁じていない)。

また、名前を人前で用いることは忌むべき事とされるが、例外とされる事例が幾つかある。

  • 君主の前
  • 目上の人間の前
  • 詩を書する時
  • 文に臨む時
  • 郊廟の最中

あとは省略するが、人前で稽首する理由と意味を最後に述べ、名前に関する記述は終了する。名前は正に本人を表現するのであり、昔も今も軽々しく考えてはならない。正しく「名は体を表す」のである。